NEODEAD MANIA

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【日記】地方における音楽文化の衰退を考える。古今東西の音楽リスナーの皆々様、ぜひ音楽マニアになってください。

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タワレコの撤退がもたらしたもの

今に始まったことではありませんが、地方と都市部を比較した時、音楽リテラシーの差は加速度的に広がる一方です。

音楽聴取スタイルがCDからダウンロード及びサブスクリプションに移行しつつある現在、すでに多くのCDショップが撤退を余儀なくされました。

地方においては、特にタワレコHMVなどの大型CDショップの存在が最後の砦となっておりましたが、例えばタワレコの閉店だけに注目してもご覧の通りです。

(以下、地方店舗の閉店を抜粋してみました。)

  • 2001年:新潟店、和歌山店
  • 2007年:小倉店、宮崎店、鹿児島店、松山店
  • 2011年:熊本店、長野店、浜松店
  • 2012年:直方店、岡崎店、高岡店
  • 2013年:高知店、那覇
  • 2014年:岡山店
  • 2015年:旭川店、長崎店
  • 2016年:つくば店
  • 2017年:秋田店、大分店、大津店

まさに閉店の嵐です。

これを分かりやすく九州の場合で考えてみますと、2020年に現存するタワレコは福岡県と佐賀県と鹿児島県のみ。

つまりは、熊本県大分県長崎県、宮崎県は空白地帯となっています。

こうしたCDショップの撤退は、間違いなく音楽に触れる機会が減ってしまいます。

アーティスト側からしても、店舗プロモーションは機能不全に陥ります。

そう考えますと、地方を巡業するアーティストも減少傾向と言えなくもありません。

特に海外勢は分かりやすくて、大物外タレでも東京と大阪だけの公演で終わったりしています。

(要するに、地方公演は客席が埋まらないってことです。)

・海外ではそれなりに知名度のある洋楽ミュージシャンが来日公演を行わなくなった、その理由はとても簡単で日本では十分な集客が見込めなくなったからだ。

 

音楽マニアの不在

洋邦問わず、音楽が好き、というリスナーは都市部でも地方でも一定数いますよね。

けれども、音楽に詳しいマニアか、ということになると、確実に地域格差があります。

端的に人口比率にもよりますが、都市部と比べて相対的に地方には音楽マニアが少ない。

加えて、情報源や交流場所となる店舗も少ないため、音楽マニアそのものが孤立しやすい環境にあるのです。

これは実際にクラブイベントを都市部と地方の両方で主催してきた自分だからこそ、身を以て知る部分です。

 

 

音楽の聴き方というのは、極端に言えば、1人で聴くか、他人と聴くか、の2択です。

他人と聴く場面というのは、彼氏彼女とドライブ中の車内もそうだし、ライブハウスやクラブ、フェスもそうです。

そこでは共通の音楽嗜好を持つ者同志で親交を深めたり、好きなアーティストを通じて繋がりを実感することが出来るため、個人が共同体を意識し得る絶好の機会となるわけです。

(これは社会性を実感出来るという意味もあります。)

・半数以上(55%)の人が、自宅でくつろいでいるときに音楽を聴きくと回答し、もっとも多い回答結果でした。(原文ママ

 

地方の苦境

ところで、音楽マニアが少ない地方でも、若者が多ければまだ良い方です。

なぜなら、音楽文化というものは、そもそもが若者の文化だからです。

少々誤解されそうな言い方ですけれども、例えば中年以上の方が今聴いている音楽は、自身が若者だった頃に聴いていた音楽をルーツとしていませんか?

従って、音楽が若者の文化であるということは、ある意味で正鵠を得ていると思います。

言うまでもなく、都市部に若者が多いことは明白ですよね。

都市部に比べて、地方にクラブの数が少ないのも、率直に言って若者(顧客)が少ないからです。

・日本人は音楽がそこまで好きではない。音楽がそのものの喜びというより、感傷的な気分になるためのきっかけとして使われている

ここまで書けばお分かりでしょう、地方で音楽イベントを開催することがいかに難しいかということを。

音楽マニアも少なければ、若者の数も少ないのですから。

(ちょうど今月末に福岡でのクラブイベントに呼ばれていますが、貴重な機会です。)

 

音楽文化復興の鍵

それでは、音楽文化の衰退を防ぐ方法とは一体何でしょうか。

 

それは、音楽マニアを増やすことです。

 

すでに述べた通り、音楽が好きな方はたくさんおります。

けれども、その中でCDを多数購入したり、ライブに通ったり、クラブに何度も足を運ぶほど音楽が好きな方は、残念ながら、地方では少数です。

数年前に、タワレコの撤退が相次いだ時、僕は危機感を募らせました。

音楽に触れる機会が減れば、地方での音楽イベント開催の難易度はさらに高くなってしまうと。

そういった危機感が、僕のモチベーションになっていることは事実です。

(実際、マルシェと音楽を組み合わせて野外フェスをやってみたり、各種媒体を活用してマイナーな音源を紹介するDJ行為等、今も試行錯誤しています。)

そもそも、DJは音楽マニアの象徴的存在でもありますが、それに匹敵するぐらいの音楽好きを増やしたいと思っているのです。

例えば、Spotifyではプレイリストを公開していますので、ぜひフォローしてもらって、僕がお勧めする楽曲をチェックして欲しいです。

MixcloudやSoundcloudでは、定期的にDJ MIXを公開していますので、ダンスミュージックの面白さ、そして奥行きなども味わって欲しいです。

(地道な行動ですけど、僕自身は全く苦になりませんし、もはやライフワークみたいになっちゃってますね。)

 

音楽の本質

そして最後に1つ、自称・音楽マニアの自分から伝えておきたいことがあります。

それは、「音楽」は必ずしも音を楽しむものではない、ということです。

なんのこっちゃ、と思うでしょう。

まず、音楽という言葉は、日本語の熟語です。

英語ではMusicと呼ばれていますが、Musicには音を楽しむという意味はありません。

(ムーサというギリシャ神話の女神の名前が語源となっています。)

・Mousaiとはアポロンに仕える女神たち、mousa(ムーサ)の複数形です。

・一般的には英語でmuse(ミューズ)と呼ばれる学術や文芸を司る女神をさします。

音楽には、皆さんご存知のように、悲しい歌もあれば、怒りの歌もあります。

中にはノイズにしか聴こえないような音楽もありますよね。

楽しいという言葉の意味にもよりますけど、別に楽しくなくてもいいんです。

何となく「音楽」という漢字そのものが、音は楽しむものだ、という無言のプレッシャーを与えているようにも僕は感じるのですが、いかがでしょうか。

 

恐らくもっと自由で、多様性があって、最終的にリスナーの救いになるようなものが、音楽の本質と言えるのではないでしょうか。

従いまして、未知の音楽に対しても、構えることなく自然に聴いて頂くことが、音楽マニアへの第一歩ではないかと、僕は考えています。

(その入り口で案内役をしているのが、DJという存在ではないかと、思ったりしています。)

 

何だか長い日記ですみません。

最近、文字のアウトプットが少なかったものですから、調子に乗りました。

現場からは以上です。