【書評】科学は殺されるのか?中国発のSF小説「三体」を読み解く3つのキーワード【劉慈欣】
劉慈欣「三体」★★★★☆
中国発のSF小説として、ついにその翻訳版が発売された「三体」。
かのオバマ元大統領が、在任中に愛読していたことから、すでに数年前より海外では大きな盛り上がりを見せていました。
特にSF界では最も権威のあるヒューゴー賞の受賞(2015年)は鮮烈なトピックとなり、これまでに中国版(原作)が2100万部以上、英訳版も100万部以上の売上を記録しています。
ヒューゴー賞については、アジア圏の作家では初の受賞となっておりまして、しかもそれが現代中国から登場したというのも1つのポイントではないかと思います。
元来、日本産のSF小説において、世界的なヒットを記録したというのはなかなか見当たりません。
もちろん、小松左京や筒井康隆、星新一、近年では伊藤計劃など、素晴らしい作品を発表している作家も大勢いますし、特にアニメ・漫画界ではSF及びファンタジー分野について、傑作の枚挙に暇がないのは皆さんご存知の通り。
それでも、この「三体」のスケール感は特筆すべきものでして、現代エンタメ分野においても、極めてエポックメイキングな作品であることは否めません。
SF好きにはぜひとも読んで頂きたいのですが、その前に少しだけ解説しておきたいと思います。
(ネタバレはありませんのでご心配なく。)
まず、本書のページを開く前に、3つの予備知識を頭に入れておくことをお勧めいたします。
そのまま読み進めることはもちろん可能ですが、以下の知見を前もって把握しておくと、より楽しめるのではないかと思います。
記事タイトルにもあるように「科学は殺されるのか?」という問いが本書にありまして、要するに科学的知見というものが、この物語を読み解くヒントとなるわけです。
・文化大革命
科学の話をしておいて、いきなり文革とはどういうことかと驚かれる方もいるでしょう。
しかし、この文革が本書に及ぼした影響は計り知れないものがあります。
実際のところ、著者の劉慈欣(リュウ・ジキン)も「紅衛兵の最後の世代である私たちにとって、文革のもたらした精神上の影響はとても重く、抜け出すことはできない。」と語っています。
例えば、ここでいう「紅衛兵」とは何ぞや、ということです。
僕のような団塊ジュニア世代や、今の若年層には聞き慣れない言葉ですよね。
従いまして、まずはこの文革が中国の歴史上において、どんな意味を持っているのか。
そして文革がもたらした影響として、当時の中国で何が起こったのか。
この2つに注目しながら、文革についての歴史を脳内に取り入れておくことをお勧めします。
本書でも、冒頭から文革時代の描写が始まりますので、こうした客観的事実を知っていると格段に読み進めやすいと思います。
・三体問題
本書のタイトルにもなっている「三体」は、天体力学において、およそ一般的には解けない問題として証明されている事象です。
ガンダムに詳しい人なら「ラグランジュ・ポイント」を思い出してみてください。
・地球圏においては、地球からの重力と月からの重力が、ちょうど釣り合う均衡点が5つ存在する。月は、地球の回りを公転しているわけだが、この重力の均衡点は月の公転に同期して動き、地球から見ても、月から見ても、つねに同じ方位と距離にあるように見える。
・これを地球-月系のラグランジュ・ポイントといって、宇宙世紀におけるスペースコロニー群は、これらポイントのまわりに存在する、特殊な軌道に設置されている。
ガンダムにおける三体問題は特殊解(正三角形解)として存在していますが、本書の三体問題は一般的な物理的運動をモチーフにしています。
つまり、厳密な解が得られない状況にあるということです。
これは「三体問題には答えがない」ということではありません。
その複雑な運動法則を「積分法によって解を提示出来ない」という意味です。
この辺は理系の方には親しみやすいのかもしれませんが、基本的に文系育ちの自分としては、全体像の理解にやや時間がかかりました。
本書では3つの恒星を登場させて、そこに生まれた文明とは何か、というところから物語が疾走していきますから、これも予備知識として把握しておくことが望ましいと思います。
・ナノテクノロジー
通称、ナノテクと呼ばれる先端技術ですね。
ナノメートルは10億分の1メートル、すなわち100万分の1ミリメートルということで、非常に小さい単位での科学技術を指しています。
本書では、ナノマテリアル開発者(ワン・ミャオ)と天体物理学者(イエ・ウェンジェ)の双方の視点から物語が進行します。
当然ながら、専門的な用語も飛び交いますので、最低限の科学知識、、、というよりは科学的及び物理的な用語を改めて復習しておく良い機会ではないでしょうか。
これは著者自身が発電所のコンピューター技師であったということにも関連しますが、総じて科学に対する肯定的な姿勢が本書の根底にあります。
とかく、現代のSF作品は科学技術のマイナス面を描くものが多いです。
サイバーパンクに代表される近未来の退廃的な世界観にしても、行き過ぎた科学の発達がディストピアを生んだという陰惨な結末を反映しているわけです。
しかしながら、著者はポジティブに科学の進歩を歓迎しており、その思想は本書でもふんだんに示唆されています。
著者自身が仰る通り、現代SF界においては例外的な考え方とも言えるでしょう。
以上、3つのキーワードを挙げてみました。
あくまでも、こんな予備知識があったら読み進めやすいかもっていう話です。
そもそも、本書は翻訳の質の高さもあって、平易な文章が大変読みやすいです。
難解な記述の多いハードSFかと思いきや、ミステリ系エンタメとして楽しめたぐらいですから。
せっかくなので、当該翻訳家の大森望氏のコメントを引用しておきます。
・ここ数年のSF業界は、洋の東西を問わず中国SFブームだが、その金看板がこの『三体』。中国国内だけで合計2100万部を売ったというお化け三部作の第1巻で、ケン・リュウによる英訳は、英語圏以外で書かれた長編として初めてヒューゴー賞(世界最大のSF賞)を受賞。オバマ前大統領も在職中に読んで絶賛し、アメリカでもベストセラーになったという、超弩級(ちょうどきゅう)の話題作なのである。
・僕は中国語がからきしなので、もともと中国側が用意していた和訳を、英訳版・中文版と照らし合わせつつ、いまのSFっぽく訳し直すというアンカー作業を担当。まさかこの年齢になって中国語と格闘する羽目になろうとは…。慣れない仕事に、可処分時間のほとんどを食われることになったが、小説の中身はめちゃくちゃ面白く、歴史的な出版に端っこのほうで立ち会っている気分が味わえた。
大森氏が言及するように「小説の中身はめちゃくちゃ面白く」次第に明らかになっていくテーマのスケール感には誰もが驚くはず。
もはや科学や宇宙の話のみならず、人類が文明を存続している意味まで問うたスペクタルな作品です。
僕も生粋のゲームファンとして「Halo」や「Gears of War」など近未来SFの世界観を味わってきましたが、それでも新鮮な驚きに満ちた作品でした。
願わくば、映画化やドラマ化を早く実現してもらいたいですね。
(これについては、すでにAmazonが出資しているという噂。)
おっと、大事なことを話しておかなければなりません。
最後になってしまいましたが、本書「三体」は三部作のうち第一部となります。
すでに原作の方は完結しておりまして、我が国では翻訳版の発売を待っている状況。
- 第一部:「三体」(2019年7月、日本語版発売)
- 第二部:「黒暗森林」(2020年、日本語版発売予定)
- 第三部:「死神永生」(2021年、日本語版発売??)
差し詰め、第一部は壮大なプロローグとも言えます。
事実、SFという想像の産物を描く故に、やや説明的過ぎるシークエンスもあり、一方で科学的で難解な言葉の応酬は、ともすれば途中挫折してしまう恐れもあるでしょう。
それでも本書をお勧めしたいのは、エスプリの効いた文章表現力と物語の創造性です。
ぜひこの劉慈欣という作家の想像力及び空想力を味わってみて欲しいと思います。
(そして一緒に、続編の発売を首を長くして待ちましょう。)