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【Pop】中田ヤスタカ流、EDMの作法

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CAPSULE「WAVE RUNNER」★★★★★


CAPSULEの新作

CAPSULEがついにやってくれた。
この日が来るのをずっと心待ちにしていた私は、嬉しさのあまり、思わずハンズアップ状態からのBOOYAH!である。
それぐらいこのアルバムは素晴らしい。拍手喝采ものだ。



CAPSULE名義としては今回で15作目ということで、昔からElectronicでDance Popな音楽を体現してきた彼らだが、今作では特に流行りのEDMにフォーカスしているのが特徴である。
とはいえ、中田ヤスタカ氏本人がそこまで海外のEDMに興味があったかと言えば必ずしもそうではなく、恐らく「コップの中の嵐」を眺めている側、つまり客観的視点に基づいた製作スタンスに変わりはないと思われる。
それを証拠に、本作のベクトルは明らかに海外を向いたものではなく、従来通り、あくまでも日本人好みなDance Popの実現に情熱を注いでいるのが明白である。
この点が良くも悪くも中田ヤスタカ氏の最大の魅力であり、プロデューサーとしての面目躍如たる部分でもある。


持たざる者への同調圧力

そもそもこの海外製EDMについて、底抜けハッピーボーイ的な音楽性故に、日本では相当苦戦を強いられるのではないかと、当blogにおいて問題提起したのが今から2年近くも前の話である。
そこから昨年のULTRA JAPANの成功を契機に、EDMという何だかよく分からない黒船文化がようやく我が国でも浸透しつつある、というのが今の現状だろう。

しかしながら、EDMの定義さえ未だ不明瞭な点も多く、一般リスナーや音楽ライターはもちろんのこと、当事者であるDJやプロデューサーによってもそれぞれで解釈が異なるのは文化の波及速度を著しく遅滞させるものであり、状況としてはあまり好ましくない。
加えて、どの方面においてもまずはロジックを重視する日本人の国民性だからこそ、「何も考えずに踊る」という海外製EDM系楽曲を上手く咀嚼出来ていない様子も垣間見える。
例えば、Dance Musicという広い意味で捉えたらいいのか、それとも狭義の、いわゆるTranceやHouseにおけるサブジャンル的な発想が正解なのか、こうした単純な問いにも巷の意見は恐らく二分してしまう現状がある。

それでも海外においては数年前からこうしたElectronicなDance Musicが台風の目となっていることは確かであり、今はひとまず欧米発のムーブメントと定義及び理解しておけばそれほど大きな誤解は生まれないはずだ。
ちなみにここで中田ヤスタカ氏のEDMに対する見解も確認しておきたい。

中田ヤスタカ氏:
「EDMと呼ばれている音楽の中に、自分たちのやりたい音楽を好きな人に聴いてもらえばいいというスタンスでやっているような音楽まで取り込まれてしまって、それによってそのアーティスト自体が「売れたがってる」と思われてしまっている。EDMの本当に面白いところは、EDMのヒットコンピレーションみたいなものに入ってないところにあるのに。そういう面白いところにまでたどり着かないような、音楽そのものというより現象として盛り上がっている宣伝がされていて。そこは端的に言って、もったいないと思いますね。」(音楽ニュースサイト、ナタリーより抜粋)

恐らくこれは商業主義へと邁進するEDM現象(=ムーブメント)への警鐘だろうと思う。
元々、EDMという言葉が生まれた背景には、新たな流行を産み出そうとする一部のアーティスト及び一部のレーベル側のビジネス的な仕掛け、つまり何らかの目論見があったと思われる。
実際に蓋を開けてみれば何のことはない、TranceやHouseに簡単にカテゴライズされる音楽がなぜかEDMと総称され、さも新しい音楽のようにシーンを席巻しているのが何よりの証拠だろう。
加えてそのBigroomな音楽性故に、クラブミュージックというよりもフェスミュージックとして台頭してきた点、ビジネス的にはこれが大きい。
例えば一昔前のアメリカにおける産業ロック現象のように、流行を仕掛ける側のプロモーションは盛大かつ狡猾であり、受け手側はまるで全世界津々浦々で爆発的に大流行しているかのような錯覚さえ覚えてしまうほどだ。

これはちょうどFacebookInstagramなどのSNSが世界的に普及してきた時期とも重なってくるのだが、今はアーティスト自らプロモーションの一翼を担っており、大衆に「いいね!」せざるを得ない空気を作り上げてしまっていること、これが巧みで凶悪である。
言い換えれば、流行という名のもとに、良いも悪いもどちらでも、清濁丸ごと併せ呑ませるような、「持たざる者への同調圧力」がEDMのパワーの源と言えるのではないだろうか。


ポップ・ミュージックは観客との対話

余談になるが、この件についてはAtari Teenage Riotの昨年のインタビュー記事が参考になるかもしれないので、以下に抜粋する。

Alec EmpireAtari Teenage Riotの中心人物):
「間違った答えかもしれないけど、俺の思うところを言えば「EDMが未来的な音楽だ」っていう考え方は誤解だと思う。みんなEDMをテクノ革命の延長線上にあるものだと思ってるけど、それは違う。俺たちは90年代初期のテクノ・ムーヴメントの一部だったわけだけど、EDMと当時のテクノの考え方は全く違うんだ。EDMの問題は、ハイプだったり、基本的なセオリーがないこと。」

「DJと観客が全く対話的じゃないのもそのひとつ。(中略)本来DJは、観客の反応を読み続けなければならない。DJセットは、観客との掛け合いであるべきだからね。でも今は、それがトップダウンの関係になってしまってるんだ。「DJが決められた音楽を流して、ドラッグをやってる観客がそれを受け入れる。エクスタシーの力でフレンドリーになって、周りの人間とハグして、つかの間だけ人種差別を忘れる」という具合にね。(中略)そのやり方では何も変える事はできない。間違ってるんだよ。音楽、特にポップ・ミュージックは観客との対話であるべきだから。」

FacebookTwitterがなぜ楽しいかというと、すぐに人からの反応があるからなんだ。スクリレックスなんかは、それをうまく利用してる。「みんながこれを好きなら、自分も好きでなくちゃ!」という心理で、それを「好きだ」と思わせている。でもそれは、全く民主主義じゃないよね。」(以上、音楽ニュースサイト、AMPより抜粋)

ベテランのAtari Teenage Riotらしい見方、そして的を得た問題提起である。
特にEDM系アーティストと観客の関係がトップダウンの一方通行状態にあるという指摘は、巷のDJにとっても深く考えさせられる内容だ。
近年、DJの機材がレコードからPCへと移行したことも要因の1つだと思うが、どちらにせよ、クリエイティブ畑の人間から見ても違和感を感じる現象であること、これは私達も知っておくべきところだろう。


クラブでも自宅でも楽しめる音

さらに話を進めよう。
中田ヤスタカ氏は今回のCAPSULEについて、以下のようにインタビューで答えている。

中田ヤスタカ氏:
「イベントで盛り上がる音楽の楽しさ、家で音楽を聴くことの楽しさ。僕はその両方がやりたいんですよ。」(音楽ニュースサイト、ナタリーより抜粋)

これはClub MusicとJ-Popの融合を目指す彼ならではの強いメッセージである。
思えば中田ヤスタカ氏がJ-Popシーンの牽引役となってから、明らかに日本のポップスはクラブサウンド化しつつある。
しかもそれはK-Popのようにビルボード楽曲の単純コピーという手法ではなく、あくまでも日本的音楽性を念頭にした所謂ガラパゴスサウンドの発展及び熟成である。

一部の人間はこれを真っ向から否定し、舶来主義の如く洋楽志向を加速させるケースも考えられるのだが、日本式ポップ・ミュージック、つまりJ-Popが非常に優れた文化であること、これは数々の名曲の存在により、過去の歴史が如実に証明している。
確かに2000年代以降はシーンの低迷が続いているものの、良質な楽曲は未だ絶滅はしていないのだ。

インターネットやスマートフォンなどの急速な普及により、音楽の価値が相対的に下がってしまったことで、様々な誤解が生まれてしまった側面もあるだろう。
例えばJ-PopやJ-Rockが死んでしまったかのように過去形で語る方もたまにいらっしゃるが、それは愚かな行為であると断言する。
幼少期より、邦楽で育ってきた私達の琴線に触れる音は、きっと今もこの日本に存在しているはずなのだ。

要するに、私も含め「探し足りない」のである。
今一度、音楽への欲求を高めることが今の私達に必要なことではないだろうか。


世界よ、これが日本のEDMだ

話が脱線してしまった。
本線に戻そう。

イベント、つまりフェスやクラブで盛り上がる音楽と、ホームリスニングに耐え得る音楽。
もっと噛み砕いて言えば、「何も考えずに踊れるような、体で聴く音楽」と、「何かを考えさせられるような、耳で聴く音楽」。

今回のCAPSULE作品で、中田ヤスタカ氏はこの相反する2つの要素を見事に融合し、尚且つJ-Popとしても成立する質の高い音楽を体現したのだ。
冒頭でも絶賛したように、本作を中田ヤスタカ流の「Club Muisc meets J-Pop」の最新型及び決定版と位置付けることに全く異論はない。
EDMの入門編であると同時に、私のような音楽ジャンキーにとっても非常に満足度の高い作品なのである。

一見すると、随所に海外製EDM系楽曲のアイデアが拝借されており、模倣の域を突破していないのではないかという一抹の不安が頭をよぎるかもしれないが、心配はご無用である。
CAPSULE本来の音楽性を軸に、日本語歌詞を尊重し、サビでは哀愁感あふれる旋律を実装、キックはこれまで以上に硬質で重く、そのためグルーヴ感が突出した出来映えである。
まるで和製Zedd、いや和製Aviciiとも形容出来るような、バラエティに富んだClub系ポップ・ミュージックのオンパレードだ。

特に素晴らしいのは音色の選び方と独特なフィルパターンの効果的な運用にある。
これにより海外製EDM系楽曲にありがちな無機質性と軽薄さが霧散し、J-Popとして十分に機能する楽曲に仕上がっていた。
特に「Dreamin' Boy」や「White As Snow」におけるHardwellも真っ青のアップリフティングな構成は素晴らしく、その巧妙なアレンジのギミックによって最後まで決して聴き飽きることがない。
また「Unrequited Love」や「Beyond The Sky」などは限りなくPerfume的な雰囲気だが、全体の骨格はエッジの効いたCAPSULE式のClub Popsそのものである。

せっかく名前を出したのでPerfumeについても少し。
乱暴な表現になってしまうが、例えばPerfumeの音楽性は往年のイタロハウスに由来するNu Discoの思想が濃いと思われる。
そしてきゃりーぱみゅぱみゅの音楽性は、YMOTM NETWORKの時代から脈々と続くTechno Pop及びSynth Popの血脈にあることは明らかだろう。
中田ヤスタカ氏はプロデューサーとしてこの辺りの線引きをはっきりさせているので、読み解く側としてはとても分かりやすい。)

ではCAPSULEはどうなのか。
私の憶測になるが、CAPSULEは最新のClub MusicとJ-Popの融合がテーマにあると思う。
本作で言えば「Depth」のように、Dub Step系の楽曲が収録されていることからも分かる通り、トレンドの取り込みには極めて獰猛で積極的なのだ。
その昔、小室哲哉氏がJungleを日本向けにローカライズし、H Jungle with Tとして一世を風靡したように、中田ヤスタカ氏も優れた嗅覚とローカライズ能力の持ち主と言える。

また、CAPSULEのLiveでは自身がDJブースに立ち、直接オーディエンスを盛り上げる役目を担うため、サウンドの志向も自然とアッパーになる。
ここに「何も考えずに踊れる」体感音楽としての価値があり、本作では「Another World」や「Feel Again」のようなハイブリッドな歌モノはもちろん、「Dancing Planet」のような完全Club仕様のインスト楽曲がボディブローのように効いてくるのだ。
それでいて「Hero」のようにProtoculture的な美しいProgressive Trance系楽曲の存在もあり、まさにクラブで聴いても家で聴いても、TPOを問わず楽しめる内容に仕上がっているのである。



おわりに

本作は中田ヤスタカ氏が生産する音楽の中でも、絶妙なバランス感覚が味わえる傑作である。
下品で派手な展開をコピペ的に使い回したような一部の海外製EDM系楽曲では、まずお目にかかれない上品な音使いや巧妙なアレンジがここまで心地良いのは驚異的だ。
しかもそれがJ-Popとしてもしっかり機能している点は流石であると認めざるを得ない。
加えてこれは希望的観測になるが、EDMに付いたマイナスイメージを払拭する可能性を秘めた作品とも言えよう。

果たして、これが中田ヤスタカ氏の本気なのか。
その答えを探るべく、ファンならずともぜひチェックしてみて欲しい作品である。


WAVE RUNNER(初回限定盤)(2CD)
CAPSULE
WAVE RUNNER(初回限定盤)(2CD)
曲名リスト
1. Wave Runner
2. Another World
3. Dreamin’Boy
4. Hero
5. Dancing Planet
6. Depth (vocal dub mix)
7. Feel Again
8. Unrequited Love
9. White As Snow
10. Beyond The Sky

1. Another World (extended mix)
2. Hero (extended mix)
3. Feel Again (extended mix)
4. White As Snow (extended mix)

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どちらにしても、J-Popの未来への扉は、きっとここで見つかるだろう。
そしてその扉を開くのは、いつの時代も、私達リスナーの役目なのである。


CAPSULE Official website








追記

本記事がめでたく100記事目に該当するため、気分転換にブログのタイトルを一新させてみました。
今後は「NEODEAD MUSIC BLOG」として200記事目を目指したいと思います。
これまで通り、音楽に関する記事がメインですが、そろそろゲームのレビューも再開したいところ。
その際は無駄に長い駄文にまたお付き合い頂ければ幸いです。

今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

by NeO of the Dead